茨木屋は明治二年生まれ、まだ丁髷と結髪の時代。
世は、東京遷都の動乱のなかにありました。
維新前夜の陣痛、数々の事件・・・・・。
前年の鳥羽伏見の戦い、またそれに先立つ近江屋事件、さらに遡った蛤御門の戦いなど。
そのなかにあっても、京のひとびとは、逞しく日々を営んでいました。
この年、日本初の小学校を誕生させ、さらに数年後、女学校を・・・・・。
「人間の劇的ともいえる生命力の強さを、数千年の歴史にみせつけた」
茨木屋は、そんな時代に生まれました。
「維新を、日々」
いまも気持ちは変わりません。
【沿 革】
・明治2年3月6日
池内豊次郎が京都市中京区押小路堺町東入ルにて蒲鉾製造販売として創業
・明治6年
現在地(柳馬場押小路角)へ移転
・明治33年
初代豊次郎没後、池内常次郎が二代目代表者に
・大正12年
池内豊三が三代目代表者に
・昭和26年
有限会社茨木屋設立
・昭和35年
京都市下京区朱雀宝蔵町56番地に朱雀工場を新築
・昭和41年
株式会社茨木屋設立
・昭和46年
朱雀工場に全自動蒲鉾製造装置を導入、企業の合理化をはかる
・昭和56年
四代目池内常郎が代表取締役社長に就任
・平成6年
朱雀工場を大幅に改築、設備の充実をはかる
「光宝満家」というのは、女流画家 上村松園女史の初代師匠として知られる、鈴木松年画伯(1849~1918年)に、繁栄と円満の思いを込め、いただいた言葉です。
後ろから読むと「かまぼこ」と音読みができます。
茨木屋は歌舞伎、落語で有名な桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ) 「お半長右衛門」、帯屋長右衛門の屋敷のあった場所にあります。
2010年4月11日には250回忌を行いました。
*落語「胴乱の幸助」
「蒲鉾」と大書した右横に「第2回水産博覧会受賞」の添え書きがある。 明治30年11月、下関で開催された博覧会に出品した蒲鉾が有功三等賞を受賞。これを記念して作ったのが、この看板です。書は幕末から明治初期にかけて活躍した書家で詩人の江馬天江による。
大正初期の茨木屋です。
現在は移転しましたので残っておりません。
明治2年創業以来、140年以上の間、京都だけじゃなく全国の皆様に愛され、食されてきた本物の京かまぼこを是非一度ご賞味ください。
名称 | 株式会社 茨木屋 |
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所在地 | 京都市下京区朱雀宝蔵町57番地 |
創業 | 明治2年 |
株式会社設立 | 昭和41年 |
代表者 | 代表取締役社長 池内豊太郎 |
社員 | 60名 |
商品取扱店 | 紀ノ國屋(各店)日本橋三越 吉祥寺東急 町田東急 名古屋三越星ケ丘店 阪急オアシス 阪急ニッショーストア 京都市内各有名スーパー 他 |
製造工場 | 朱雀工場 京都市下京区朱雀宝蔵町56番地 |